ハロウィン問題
最近日本でも盛り上げようとしつつあるハロウィン。これが今までどうして流行らなかったか。それは一重に分かりにくい祭だったからに尽きるのではないでしょうか。なぜカボチャなのか。なぜ変装するのか。その意図が直感的でないというか行動の意味がわからんし視覚的にも受け入れがたいものがあったような気がします、今までは。所がクリスマスの場合は本当の所は違うようですがキリストの生誕祭として受け入れられたような気がします。それはクリスマスと一緒にキリスト誕生の劇等も一緒に行われたのが影響が大きいか。もっともこれは教会のキリスト教の布教活動の一環だったろうが。つまり神様の誕生日だから、本当は違いますがそれを置いといてもキリスト教の開始者だからと言う事で敬意を払う面が日本人に受け入れられたと言った感じでしょうか。クリスマスも元は異教の祭だったらしいがハロウィンはもっと異教の香りを色濃く残しています。何で魔女、それこそキリスト教に相反する存在ではないか。こんな所にも正統派を重んじる日本人の心境が覗かれます。つまりハロウィンは邪教が入り交じった祭でありそれをキリスト教の普及の過程で取り入れていったものであり、もともと魔女とが西洋の異教のビジュアル面での素地が無かった日本では抵抗があったと言う事ではないか、今までは。そんな心理的抵抗も今では随分希薄になったか。その点クリスマスはその辺の幻想を西洋の理想主義とともにうまくビジュアル化できて日本に受け入れられたという面がありそうだ。
というか教会はクリスマスを最大に利用して布教活動の一環としていた面があるか。クリスマスが無かったら結婚式でこれほどクリスチャンスタイルが普及する事もなかったろうし、クリスマスの影響は絶大だよな。
ヨドバシドットコムのリニューアル失敗の件で
外から何がどうだったかなんて全く分かりませんが、ヨドバシカメラが全くの被害者のように報じられているのはどうか。最終的な責任はヨドバシ側にあるのであり、全く丸投げしたヨドバシ側の責任は免れない。こういう時の為にユーザー企業側に立ったシステムの精通者が必要なのであり、システムアドミニストレータとしての責務が問われるのだ。そういう人がいなかったというならザまぁ見ろとしか言いようがない。てっ言うかこれはシステムアドミニストレータの重要性を世に知らしめる為の陰謀のような気がして来た。システム切り替えのボタンは最後までヨドバシ側が握っていなければダメですよ。あら使えないシステムね、それでは元に戻させていただきます、ポチッとな。支払いもなしね。このくらいの事言える体制を企業は作っておかなければ負け犬企業と言われても致し方ない。
そういえば新銀行東京の杜撰な実態が
伝えられていますが、米国全土でこれが行われていたのが米国の低所得者向け住宅融資だったんだろう。殆ど勤労実態が無い人にもバンバン金を貸していたんだろうな。米国が破綻してもおかしくないと。
もしかしてこれがオクトーバー・サプライズ
にしては世界巻き込みすぎで規模が大きすぎるだろうって。終わってみれば分かる。