湖面と予定地
相手の事を思いやって真剣に考えてやるとへとへとになりますやんね。でも当人はそんなこと露とも思わず、意地悪されてんのって思っているわけですね。
子供が世界を救う日本、子供が世界を滅ぼす米国
「街場のアメリカ論」がこのような事を言っていた。アニメや映画ではそのように描かれると。鉄人28号からデビルマン、マジンガー、宇宙戦艦ヤマト、ガンダム、エバと恐ろしい程当てはまりますね。米国では悪魔の子デミアン、エクソシスト、13日の金曜日とかホーム・アローンも子供を無意識に捨て去るドラマだという。それで子供に夢を託してきた日本ですがその神通力も衰えての少子化という事ですか。逆にここまで子供が表現上で忌み嫌われた米国で人口増加が順調なのって。どうやら日本は余りにもアニメで子供に夢を託すという事を使い過ぎてしまったため拒絶反応というか実際全然使えない事に気付いてしまった反動か。これもバックラッシュ。逆に散々子供を怖いと脅していた米国は実際育ててみたら以外とかわいいと思ったか。
明日の講義は「日米アニメ戦」: たけくまメモ
人生に意味なんか無いんだよ
あるのは事実(経験)の積み重ねのみ。
家出のすすめ
だそうである。みなさん家に火をつけるのは止めて可及的速やかに家を出てください。
きゅわぁてぃういおぷ
きゅわぁてぃういおぷ
あすどっふじぇくる
ずくしっぶんむ
文章というのはどうしようもなく意味が通じてしまうように書かされるもの
それでも無理矢理意味を通じなくさせようとすると電波。それでも意味が染みだしてきてしまう所がなんとも悲しい。これ宇宙後と思わせる文章を創造できたらそれは素晴らしい。天才。誰もが意味の僕、奴隷。意味からの解放は白痴の事。意味を解体して何が残る。文章が意味を運ばなくなると文章は死ぬ。結局人間に考えられる事。本当は地平なんてちっとも広がっていないとしたらショックかい。qwertyをパスワードに使ってはいけない。
新幹線で街は寂れる
新幹線でも高速道路でもそうだがアクセスが良くなると途中はどんどん通過されるだけなんだよね。観光地でも軽井沢とか清里とか一等地ばかりがメジャーになってその回りは全部吸い上げられてしまう。その対策として軽井沢とか清里とか一等地の拡大路線があるわけだがそれも限界あるし。新幹線も高速道路もない秘境だけが付加価値として見直されるようになる。
「新幹線で街は栄えない」 全駅を乗り降りした自称オタクの銀行マンが講演 Brain News Network
金持ち恨んでどうするの
今の日本は共産党政権樹立時の資本家狩りか。
マージンなんていらねえよ
マージンとは間のことである。または中間手数料を意味する事もある。間の方は紙面のレイアウトなどでマージンを設定して判面設計をして共通のレイアウトに作成する。ちくしょう!まんまと罠に嵌まったよ。これでワシも広告消費生活の一員としてカウントされる一要員というわけだ。はてな破れたり。マージンFXのひまわり証券さん、ニンテンドーDS Lite欲しい!なんてこった。くそ!こんな軟弱な精神じゃなかったのに。はてながオレを堕落させた。他人責任。そんな証券会社オレには関係ねえんだよ。ニンテンドーDS Liteだけが欲しいのにどうしてこんな恥をかかせるの。やんなっちゃう。
もしかすると短気は損じゃないかもしれない
乏しい想像力を駆使すると実際には起こらない抜けた想像をして心配して行動できないという事がある。そうなると何もできなくなって身動きとれなくなってしまう。そういう時は感情の趣くままに行動する事によって突破口となるかもしれず。短期的には損に見えても長い目で見れば良かったという事はあるかもしれない。どういう結果になるかなんて神のみぞ知る、神も知らない世界だろう。
家出をしなかった? できたけどあえてしなかったのでは
誰もがなぜ家出をしなかったと思っているのだし。よく祖母の家に寄り付いていたというから、逃げ出す事はいつも考えていたと考えるべき。想像力のある人間なら家出をしても何も変わらないと思ってしまうだろう。(実際にはそれがきっかけで心境の変化が起こる可能性はあるが)いずれ連れ戻され同じ日常が待っているのだ。ならばその日常を作り出してる元を破壊してしまうという欲望を持つのは不思議でも何でもない。学校がイヤなら学校に火をつけるとか。そうすれば確実に今までの日常はやってこないのだ、永遠に。これほど完璧なソリューションを他に知らない。
404 Blog Not Found:家出を知らない子供たち
イヤなヤツはみんな宇宙人にさらわれてしまえばいいのにって思っている? だから人はUFOを望む?
落花生、ピーナッツ
スーパーで落花生が売っている。国内産と中国産がある。中国製は国内産の4倍はあろうかという量で国内産の半額である。それでも農薬問題や安全性を考えたら国内産を選択するという余地は残されているのだろうか。その余りにものコストパフォーマンスの違いに日本の農業の放漫を見る。せめて量は同じで価格が倍位なら安心を買うという機会が残されていると思う。そういった経営努力が全く見られない農業はさっさと終了するしかない。スーパーに堂々とその価格で置いてある事が厚顔無恥と言える。
追記:最初買う時は国内産を選ぼうともしたがそのあまりの値段の差にばかばかしくなりここで国内産を選んでしまったら現状を肯定してしまう事になるので国内農業の為にも泣く泣く中国産を選びました。これも日本の農業を目覚めさせる為の非情の決断です、ふっ。
タクシー規制緩和のフカシ記事、フカシ番組というものがあった
今はもうない。いや、まだくすぶっているのか。もしかすると再燃したりして、小泉後にね。それもバックラッシュ。しかしそういう番組まで作ってしまう勢力というものがあるのだからビックリしてしまう。ものの見方なんてけっこう極端なもので180°違う見方に分かれてしまうものだが、特に番組などはそうしないと見せが作れないからということもあるだろう。こうもとれるしこうもとれる。そうじゃないかもしれない。いろいろな見方があるね〜、という番組は余り見聞きしない。お互い足を引っ張り合ってどこにも行けないというのが世の中の実態。