新水伝

水伝には若干誤りがあると思う。ここで新解釈を述べておこうと思う。
水は何でも知ってるわけではない。水はあなたの心の反映を写すだけです。ですからあくまでもその人にとって美しいと思っている言葉によってその人の気持ちが波動によって水が共振するのですから水は言葉を見てるのではなく書いた人の心に影響しているのです。だからその人が「氏ね」が美しいと思っているなら安定した共振によって結果的に美しい結晶を生じるという事になります。
これも世界は波でできているとすればすべての構成要素は波に還元されることになり波同士の共振現象として説明される事になります。まぁ一つの仮説としてはいいのではないでしょうか。

ネットで紹介された千円DVDの「フェリーニのローマ」

これは見る人しか見ないというか、余程のフェリーニ狂でなければ見ないようなものだな。印象に残っているのも小学生の野外授業でルビコン川をわたる所とか、小学生でも裸足で渡れてしまう小川だったのね、当時は知らんけど。あとスライドの授業で間違って女性の下着姿が映し出されて大騒ぎになる所とか。後は退屈なんだよな。あの喧噪と混乱が現代のローマなんだろうけど。現在の方が落ち着いているのか。まだ最後まで見てないんだけど。

科学は停滞しているか

20世紀初頭に敷かれたレールを邁進しているだけで途中枝分かれはできたものの新規に敷かれたレールはないのでは。少なくても20世紀初頭に次々と現れた新説のダイナミックさはないのでは。まぁ何にでも波はあるから今はそういう局面という面はあるだろうけど。

選挙に行こうは基本的人権の侵害である

人の自由意志を全く尊重しない傲慢な態度である。全くの上から目線で自分が何も知らない弱者に説き聞かせるような態度である。まったく失礼千万の輩だ。自分の行動を他人から指図されたらどう思うという想像力が欠如している欠陥人間と言うしか無い。
こういう憲法の基本が分かってない大人が自ら憲法を空文にしているという事が分かってないんだよ。小学校からやり直しな。

料金下げても全員が新サービスに移らない事が前提だったら

安い新料金プランを支えているのは従来の旧ユーザーである。まったく馬鹿らしい事だ。黙って座っていると損する仕組みになっているわけだ。だから損にならない為には会社が次々に発表する新プランに移行しなければならなくなる。もちろん新機種じゃないと移れないプランもあるだろうし、必要がなくたって新機種でないとダメを醸し出す事もできるかもしれない。これほど消極的な購買意欲を感じた事はない。携帯なんて欲しくないのに。まったく実用的で無くてもiPhoneの方が100倍魅力的だ。

ちょっとした事件事故が世界を変えた

という事はあるだろう。ヒンデンブルク号の事故は水素を想像以上に危険視して以降水素と飛行船は使われなくなった? いずれにしても飛行機に取って代わられたのだから同じだった。では日本の回転扉はどうか。いずれ日本の空気では似たような事故が起こって大騒動だったろうから結果は同じ? いずれにしても起こらなかった事態を想像するのは思ったより困難だ。起こらなかった世界を再現する事はできないのだから。9.11も起こらなかったら世界は?イラク戦争は起こらず、フセインは健在でタリバンアフガニスタンの政権についていただろうか。チェルノブイリ事故が起こらなかったら。たらたらたら、ればればれば。まったく世界は一寸先は闇のパラレルワールド

普通の人まで科学に囚われていること

迷信や都市伝説を信じない為にも科学的態度というものは必要なものなのだろう。しかしそういう科学的態度というのが思考を貧しい物にしているとしたら甚だ残念な事である。そんな事はない科学を信じる事と自由な発想は切り離されていて微塵も妨げになっていないと思っていないだろうか。いえいえ現代人は骨の髄まで科学的思考に染まっているのですよ。それを今から私が証明してみます。と言いたい所だがまだ何も考えてない。今思いつきでそう思っただけだから。でもやっぱり幽霊とかお化けとか信じてないでしょう。それを見間違える不思議な現象はあるとしてもそこには何らかの説明できる理由があるはずだと考える。もうその事が科学的思考に毒されているのです。昔の人はそう考えなかった。だから幽霊にしても化け物にしても人に話す時のリアリティが違っていた。話す人も本気なら聞く人も本気で聞いていたのだ。そりゃ昔だってそんなのいやしねぇよ、寝ぼけていたんだよと考える人もいただろう。しかしそれは今よりずっと少数派だった。現代から見れば、困ったもんだそんな迷信や風習を信じていてという事態だろうがそうやって科学に囚われている事を現代人は気づかない。だってやっぱり科学は正しい。それが現代人の思考なんだってば。そこから離れられないでしょ。この現代文明の恩恵に与っていれば科学を裏切られないのも当然だ。魂を科学に売ったな、残念! 科学を取るか科学以外の考えを取るか二者択一を迫られたら間違いなく科学を取るだろう。それほど現代人は現代文明に依存しているという事だ。たかだか日本ではここ140年余りの事なのに。

水伝は現代科学に風穴を開ける突破口になるか

水伝は最初はもちろん否定的に捉えていた。それが怪しげな機器販売に絡んでいるとなれば尚更だ。しかしこのような従来の科学からは考えられないような発想はもっともっと出るべきなのではないかと思い始めている。従来は余りにも科学的という枠に捕われ過ぎて柔軟な発想ができない状況に追い込まれていなかったか。何でも非科学的で済ましていては文学だって捨てられてしまう。だいたい昨今の科学の停滞は従来の科学の枠に捕われている人材ばかり集まってしまった石頭揃いの科学者が原因ではないのか。それが集団になって水伝を攻撃するなんてチャンチャラ可笑しい。それは多分レイヤーの違い。違う次元の話なのだから、その現象を科学的に捉えてもダメのような気がする。そうやって分離、隔離してカテゴリーに分けて、限定した考えに押し込めてしまうのが分野を超えた発想を妨げているのだから。そういう科学は残っていいが余り他者に迷惑をかけるものではない。人間の自由な発想を妨げてどうする。
 そうすると間違った言動や理論を野放しにしておけという事になってしまう。さぁ、どうしよう。この続きはいつかどこかで。

日記の終焉とその陰謀論

ブログの前からあった日記システムが終焉を迎えようとしているようです。システム自体は継続してても容量の制限で移動を余儀なくされたりでブログに移る人も多いかもしれません。ブログに様々な特徴があるが最大の違いは固定リンクが張れる事でしょう。日記にも日付毎の固定リンクがあったのもあるが多くはない。そこにネットを監視する陰謀論を嗅ぎ付けてしまうのは考え過ぎなのでしょう。固定リンクを張れるというのはブックマークして炎上に持ち込み易い事を意味します。こうして自主管理のようにネット上の秩序を保つような作用が働いているともいえます。それがこれまで従来の日記までは管理外にあったので目の上のたんこぶのように監視する側としては不便だったというわけです。日記システムがシステム更新とともに消え去ったり容量のせいで消えていくとしたら増々ネットは管理し易い存在になっていくのかもしれない。

くだらないこと

生きながら死んでいるのと変わらないのだったら死によって何が変わるだろう。そう、生きていながら何も見ず何も聞かず何も心動かされず何物も捉われないならまさに死と一体化した事になる。生きていながら死と寸分違わず在れば死んでも何も変わる事はない。生きていながら死と同化でき死によって何も変化しないとしたら。生きている事が死んでる事になり永遠の死も永遠の生につながる。そんだけ〜。