科学という一神教

科学は科学以外の考えを排除しようとする力が働く。水伝批判も学校の授業で使われているからという危機感あっての反応もあったろうが基本は非科学的な事を信じないようにという布教活動であった。血液型性格判断を激しく攻撃する傾向もある。先日の運転免許更新講習で血液型による事故率の記事も現実に実害が発生する危険を予感しての反応があったようだ。マイナスイオンも一部の人が激しく攻撃する。もちろん勝手に信じる人は信じるがいいさという賢い人間もその姿は見えづらいが存在するだろう。
 しかしそういう人々も含めて科学は科学でないものを排斥しようとする。勝手に信じればいいさと思っている人も心の中ではそういう人々を軽蔑するだろう。どうして共存できないのか。もしかして科学の信望者は無意識のうちに科学を信じていないのではないかと思ってしまう。自分たちの科学が崩壊する事を恐れているから必死に守ろうとする力が働く。だって絶対的信頼を寄せているならどういう考えが蔓延しようと揺ぎ無いではないか。
 どうして並存を認めようとしないのか。共存してもいいじゃないか。重ね合わせすればいいのだ。非科学的のものが学校の授業に使われようと進化論が唯一でなくてもいいじゃないか。ダメなのか。空飛ぶスパゲッティ・モンスター教も認めればいいじゃないか。なんでも有の多神教的世界観でいいじゃないの。どうして既存科学だけが唯一の神だと押し付けるのか。キリスト教に打ち勝った自然科学はキリスト教と同じ轍を歩んでいるような気がする。