メンタルケアとか

日本ではまだまだ精神性のトラブルについての認識が甘いような気がする。そういうのは気の持ちようとして元気出せみたいな日本語があるけど、使い方を間違っている。では皆が自分は病んでいると思ってもどうすれば分からず不安を募らせる。違う。病んでいる事にも気付かずに自分の性格として処理して生きづらい生をいきているのではなかろうか。そういう判定ができる窓口が広く知られて気軽に行ける風潮にならなくてはダメだろう。つまり高所恐怖症の人が無理して高所を克服しなくていいように様々な恐怖症や何とか症候群であるかを認識すること。そうである人が普通の人の中に混じって普通に生きられないとしたらこれほど苦しい事は無い。しかしこれも程度問題なのか。いじめもその萌芽が感じられる所から始まって、が全てがそれが原因ではないだろう。問題を起こす子は発見されるからまだいいけど。大人しくしている子は問題が見過ごされるからそれが怖い。日本では見つけたら見つけたでその問題がイジメの対象になったりするしな。