どうして主人公は普通の状態でいられたか

http://anotherorphan.com/2006/03/post_214.html
彼は祭りに参加できない、いけてない性格だった。踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らなきゃ損損。でも彼は踊れなかった。乗れなかった。冷静だったから。やることがあったから。仕事があったから。彼は仕事バカだったのか。

日本語は類推を求められる言語

Life is beautiful: 日本語とオブジェクト指向
逆に英語は何も考えなくても押すとか渡すとかの動詞が先に来るから考える必要がない言語。日本語の場合は類推が求められ話が複雑になると何を求められているか分からなくなってしまう。そこで鈍い、バカとかの差別化が生じる。こんな所にも気軽に使える英語と構えてしまう日本語の差、コメント欄の荒れ具合の差になるのか。

しかし何なんだろう

owner's log:坂本龍一氏への手紙 - livedoor Blog(ブログ)

猶予期限ギリギリになって明らかになった経産省の法解釈とそれが抱える矛盾、そして、これほど大きな影響を及ぼす、中古販売についての法運用のガイドラインを、販売業者にも一般消費者にも、関係省庁にすら周知を計ろうとせずに、4月を迎えようとしてきた経産省の怠慢を問題にしています。

あまり影響はないと言われているこの法律。しかしこれがもっと人権等にからんだものだったとしたらぞっとする。どうして立法のとき問題にならない。その時に今のような趣旨で検討されたのか。余り重用でない法律だから細部を詰めずに通したらこうなったって事?

無制限とはこれいかに、怖すぎ

Google、無制限オンラインストレージ機能を開発 - ITmedia NEWS
ブログでは無制限あったけど、あれはテキストのみのことだよね。使い切れるものなら使ってみろということも思わないでも無い。しかしストレージとなるとビデオなんかですぐに100Gとかいってしまいそう。それを全世界に向けてサービスってこれは企業向けの有料サービスなのか。しかしいきなり無制限なんて素敵すぎる。ま、まだ実際やるか不透明。ていうか今からその手の企業は風呂敷畳んでおけというメッセージ?

ルワンダの大虐殺の原因

そういえばルワンダの大虐殺の原因を考えるとどうしてもベルギーの政策に行き着く。しかしベルギーは大虐殺を起こそうとして差別政策を行ったわけでないから免罪されるということか。それは結果論なのか。それでも道義的責任があるだろう。それを言ったら西欧はみな同罪。でも大虐殺はあった。結果責任という罪もあるのではないか。運が悪いという事も含めて。

終わってみれば大成功だったのか

ホテル・ルワンダ」騒動はいいパブリシティでしたね。これでかなり注目を浴びたのは間違いなし。例の一行が釣りだったとも思わないけど、炎上慣れしているあの人だから、そこまで計算してそっと挿入したとも考えられる。そして見事に突っ込んでくれた客人あり。待ってましたとばかりに晒し上げ。後は広くブログ界に伝播して「ホテル・ルワンダ」を結果的に多くの人に知ってもらう事ができました。動機も充分。日本で公開する為に仕事したそうだから、公開されるのなら今度はより多くの人に見てもらわなければならないわけで。公開にはこぎ着けたけれど、誰も見てくれず大幅赤字じゃ一緒に運動をしてきた人にも申し訳ない、という不安が過ったのかもしれない。
 これはこれからのキャンペーンの参考になるでしょう。でも下手に企業が真似すると諸刃の剣だからかなり危険。とにかく認知されればいい。ダーティーなイメージも好都合というブランドにはおすすめです。

世間の声主義政治

で、そういう束縛を押し付けるのは世間の声というやつ。世間の声は偉大だ。小泉政権が生まれたのも世間の声。大臣の首が飛ぶのも世間の声。マスコミも世間の声を気にして記事にするし、世間の声に影響を及ぼそうと企んでいる。ブログが炎上するのも世間の声ってやつか。使徒って世間の声だったのかって今更思う。世間って何だと載っていたのは教科書だったか。

思わず本音

月と太陽のおもいで。:相手の不幸を喜ぶ
思わず本音である事は誰でも分かっている。大臣は時々こういう発言をする。でも大臣である人がそんな事言っちゃうなんて大臣としての自覚が足りないと責められる。社会的責任のある人は本音が述べられないのである。だから当たり前のつまらない、生徒があくびをして寝てしまうような話しか出来なくなる。だから成人式もつまらない話をされて荒れる。本音を語り合えば本当はもっと楽しくなる。本音が語れない社会の方がおかしいのだ。どこかでスリッパを履き違えてしまったのだろう。

う〜ん、う〜ん

2006-03-04

 世の中には人間の倫理観を期待し法律は簡素な方がいいという考えと、倫理観には普遍性がないので細かい部分まで法律で規定した方がいいという考えがある。

ふぉーりん・あとにーの憂鬱: 「法」への幻想 (intro)

言い方を変えれば、裁判所とか法なんて、人の権利を侵害するときの値段を決めているようなもんでしかないかもしれないし、裁判所だって、30万円なら気軽に「違法」と言うかもしれないけど、30億なら「違法」とは言わないかも知れない・・・
よくも悪くも、「法」というのは、そのぐらいの代物かも知れないじゃないですか。

出ないな。