東京猫の散歩と昼寝 ■ 『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』

私たちが、自分の知りあい、知りあいの知りあい、そのまた知りあい、というぐあいにどんどん辿っていくと、世界中すべての人と6人目くらいで繋がってしまう(らしいよ)。そんな風説がだいぶ昔からあったとおもう。この謎、じつは数学者がまじめにこつこつ解析していた。その鮮やかな成果をまとめたのがこの本だ。

これまでの実験やシミュレーションがはじき出すのは、なぜか本当に6前後の数値。世間は広いようで、あまりにもあまりにも狭いのだ。これを指して「スモールワールド」と呼ぶ。それにしても、60億あまりの人々がたった6の隔たりで結びついてしまうとしたら、いったい地球社会のネットワークはどんな構造をしているのか。

俄かに信じがたいとも思ってしまう。日本人でもアフリカのスーダンダルフールの難民と6の隔たりで結びついてしまうのだろうか。では、江戸時代まで遡ったらどうだ。鎖国の日本で外国との繋がりは極端に薄れてしまうのではないか。とは言いつつ、6の隔たりはかなり大きな隔たりではある。例えば知人の知人は自分からは知人とは限らずまったく面識もなく、一度も話にも出てこない人かもしれない。2の隔たりでこんな感じだから3の知人の知人の知人はかなり遠くの人になっているのである。その4、5、6だからだいぶ遠くの存在ではあるのだな。

もうひとつ「もしや」と思ったこと。最初に挙げたスモールワールドの特性は、我々の知識にも当てはまるのではないか。つまり、知識というのは通常ほとんどそれぞれの近場だけを結んでクラスター化し分断化しているように思われる。しかし、遠くの知識と遠くの知識がふとランダムに結ばれるような場合には、それまで培ってきた知性や感覚のすべてが一気に同期し、世界の全体イメージを悟りにも似たおもむきで運んでくるのではないか。

今まで遠く離れていたと思われていた異なる分野の知の領域も以外と近似な所にあるとするならば、というよりお隣同士で理解を深めていけば、かなり違った領域の分野も案外近くに存在していてあらゆる分野にすぐ手が届くと。そういう知のブレイクスルーが起こるならば本当に人類は飛躍的な発展を遂げてしまいそう。夢か実か。