自分は何モノ

 「問題が起きた時どういう風に考えられるか」というのはどういう事なのか。様々な見方考え方があるだろう。その中で多数派の考えが形成される。賛成でも反対でも多くは類型的な意見になるかもしれない。典型的な意見ということもあるだろう。そういうありふれた意見では誰も注目しないので一歩考えを進めてみようとする人達がいる。動機が不純である。注目されたいから考えを一歩進めると考えている時点で平凡な脳細胞のような気がしてきた。もう始めからどうしようもなく思いついた時から人とまるっきり違う考えをしてしまうというのが本当のユニークな考えではないのか。
 だから平凡な頭であれこれこねくり回してもロクな考えに発展しないのだ。やはりこの辺の事は生まれた時から、いや生まれる前から決まってるという事はありそうだ。もちろん生まれてから伸びたり縮んだりする事はあるから努力は無駄などという事ではない。けれどそれ以前の原石の輝きのようなものは否定しようがないだろう。と言ってもそれが幸福かどうかまた別問題。自分の才能を呪う人生なんてものもあるから油断できない。
 で、自分は独特の発想が出来るわけでもなく、つくづくと平凡さを見せつけられる日々なわけですが、それはそう悪い事でもないと。ユニークな人は常人には伺い知れぬ苦しみというものがあるのかもしれぬと思うようにもなる。で自分は何もの、何だ、と。どういう位置を占めて安住するのか。自分の居場所を見つけるとはそういう事なのか。