意味という幻想

どんな意味にも捉われない人間がいたら強いな。足元が何もない状態でたっている事も困難。身を任せる、流されるまま。そこから何も見出さない人をバカというが、そこから意味を見出すのも一つの事に捉われるバカである。しかしどんな木にも寄りかからないで立てる人間はいない。それが大木であればなお安心。細い木に頼りなくしがみつく事もできる。やがて大木に育つこともあるかもしれない。何を必死に守っているかわからない怪しげな木かもしれない。それも博打か。何もしないことが悪いわけではなし。