ネットと辞書の理解の構造

 ブックマークのブックマークとか言及した記事を言及する記事とか。なかなか元記事にたどり着かない、いや永遠にたどり着けないかもしれない。そう思ったのはエロサイトがどういうものか分からなかった頃の体験から。あそこはワザと作品と広告が分かりにくく置いてある。広告をクリックしてもらったほうが利益につながるからだ。それに広告の巧みなキャッチが探しているものよりも魅力的にも見えてくる。そうすると永遠に広告のリンクをグルグルと回ることになって永遠に作品に出会えない。
 と同じことがネットでも。ひとつのネタをいろいろな所が言及しブックマークされメタブされその現象が考察され一大カテゴリができる。それが時間とともに積み重なって潮流ができる。後から何も知らない人が検索で発見しても何が元ネタになったのか。まぁまとめサイトとか○○とはというページで歴史を知るようになるかもしれない。と思うとそれは辞書と同じ構造。何々を調べて次々と違う言葉を巡り最初の言葉に戻るネタ。検索も次々と巡ったら最初のページ戻るとか。しかしそれが全て徒労に終わるかというとそうでもない。その経験は何かを分かったような気にさせる。結局分かるといってもそれがこの世界でどういう位置づけにあるかという事が多いのだからその体験は位置を把握するのにちょうどいい経験になる。