「水からの伝言」を科学的に説明する試み

この結果は、まさにおどろくべきものになりました。「ありがとう」という言葉を見せた水は明らかに、六角形のきれいな形の結晶をつくりました。それに対して「ばかやろう」の文字を見せた水は、ヘビーメタルの音楽と同じく、結晶がばらばらに砕け散ってしまいました。

同じように、「しようね」という語りかけの言葉を貼った水は形の整った結晶になり、「しなさい」のほうの水は、結晶をつくることができませんでした。

 水が文字を見ることはないから科学的見地から原因と結果を考えるならば影響を与えたものは何だろうかと考えると文字の違いによる光の反射率の違いしか原因は考えられない。
しかし、「ありがとう」「ばかやろう」でそれほど濃度差があるようにも思えない。どうもこの説で解明は難しいようだ。追試で黒い紙と白い紙を張ってやればはっきりすると思う。

 次に人間の心理面に注目。文字ではなく人の気持ちを読み取ったとしたらそっちの方がもっとトンデモだろうと思うかもしれないが、まぁ待ってほしい。試験者が「ありがとう」「ばかやろう」という文字を見たときの呼吸数や心拍数、体温、血圧等が影響したのではないかという推察である。それらが水の分子運動に影響し、その影響が消えないうちに冷凍庫に入れたら結晶の生成に影響を与えるだろう。

 もう一つは結果がこうなって欲しいと考えながら実験したのではないかという事だ。パソコンのトラブルでも原因がこうではないかとの予断をもって検査するとたまたま一致する結果が出ると原因をそれに絞って間違った原因に求めてしまい修復に手間取ってしまったという事がある。つまり「ありがとう」はきれいな結晶が「ばかやろう」で不完全な結晶がたまたま出る確率は50%はありそうだ。回数を重ねないうちはブレが出るのでその偏向を読み取って結論を出してしまうことも多い。

 以上、科学的に説明を試みてきた。で、こういうことは無くならないなという思いが残った。いちいち反論を試みるのも面倒くさいのではあるが。未来永劫科学を利用したこういう言説はなくならないだろう。そしてあるものは人々の間で定着してしまう。血液型の性格判断のように。これは科学の敗北なのか。レイヤーの違いと言ってしまうのが一番無難なのだろう。科学の側にも反省はあるはずだ。現代科学は一般の人から余りにもかけ離れすぎてしまって、それを理解してもらおうという専門家の積極的な姿勢が足りないとも感じられる。そうした乖離は結局はトンデモの蔓延、科学研究の無理解、予算の削減につながるだろう。こういうものが流行るという事を科学関係者はもっと深刻に受け止めた方が良いかもしれない。