「水からの伝言」が害になる世界とはどのようなものなのか

「水に優しい言葉を かけると美しい結晶ができる」ということ信じても別にかまわないとは思う。そういう事に目くじら立てていたら一体世の中にはどれだけのおかしな言説が溢れているだろうか。
しかし、これが学校で使われていてそれも理科の時間で使われているなら堂々と批判されるだろうが道徳として使われ蔓延する事に更に危うさを感じてしまう時代なのだろうか。
では現代科学は嘘をつかないかと言われれば試験結果のねつ造なんてのが時々話題になる。近年では常温核融合などが物議を醸し出した。それとこれとを一緒にすんなと言われそうだが、多くの人にとって何を信じ何が信じられないかという事が分からなくなってきているのだ。
これもリテラシーという事で済ましていいのかという問題。あらゆるウソや偽装を見抜くのは自己責任でお願いします。それはそれですっきりした世界でいいかもしれない。そうすればむやみに何でも信じる人間は淘汰されるだろう。しかしウソや偽装も高度化するか。国がちょっかいを出せば責任が問われる。ま、国が何でも保証する安心社会なんて幻想なので、世の中怖いもの弱肉強食の実力社会という現実を見る良い機会なのかもしれないがそれが社会ですでは近代は何の為にあったのか途方に暮れる。バランスですよと言ってしまえば終わってしまうのだろうけれど、そのバランスが崩れた現在どうするかのせめぎ合いが起こっているとも言えそうです。