人はなぜエレベータの中で話をしようとするか

見ず知らずの他人同士が狭い密室にいるというこれまで人類が体験した事がない経験に混乱と不安がないまぜになった感情を抱くのは不思議ではない。隣にいるのは殺人鬼かCIAのエージェントかスリだろうか。何の手がかりもない状態を何とか打破しようと思い、あなたはふいに、「今日は寒いですね」とか尋ねてしまう。相手が「そうですね」と言ってくれるだけでちょっぴり安心する。言葉が通じた事に対して。どうやら異国の人ではないらしい。また相手が話したという事は情報を提供する意思を示したということにほっとするのだ。どうやらまったく手の内を見せない冷酷無比な殺人鬼ではないようだ。だが油断はできない。安心させておいて一気に襲いかかる可能性がないわけではない。ここであなたは次の言葉を出そうか考えあぐねていたがエレベータは目的の階に到着しそうで救われた。これは公共的な場所のエレベータだが自宅のマンションなどではもっと会話の要求は高くなる。同じ住人として挨拶くらいした方がいいだろう、だがあなたはその人が住人かどうか分からない。もしかすると遊びにきた友人かもしれない。もしかしたら保険のおばさんかもしれない。まぁだれでもいいかと思い「こんにちは」とあいさつする。相手は軽く会釈を返した。やっぱり住人の人ではなかったんだなぁと思いながら、「お先に」と言ってエレベータを降りた。
という文章ができた。エレベータの中ではしゃべりたい誘惑に負けず黙っているのが礼儀のようだ。というライフハックがあった。
私の些細な三つのライフハック: 極東ブログ