日本語は感情がたつ言語

 ネット上で日本語議論があって果ては日本語では論理は不可能という極論まであったりする。それは極端だけどなんとなく分かる。人と話をするとき論理と感情の部分があるけど論理の話しをしているのに感情が勝ってしまう。感情が前に出やすい言語と。だから議論に向かない、論理的な話に向かない、できないとエスカレートする。日本語は音が少ないから言葉が変化しやすいと言えるかも。英語なら言い方、音のズレでニュアンスを伝えたりできるかもしれない。音が少ない日本語は表音方法が制限されるので文字の違いによる語尾変化が起き易いと。
 言い方一つで、断られたり受けいれられたりするんだから、発達するのは論理でなくてものの言い方になってしまう。そういうものにリソースが奪われてしまうのが日本語は使えない理由と。確かにそういうのを意識から取り除いてしまえば理屈に集中できる。
 ネットでの論争も理屈より感情のもつれが引き起こしている現実を見ればそう。そういう感情が権威主義に結びついているとも言える。Googleが日本に生まれなかったのもそういう風土に関係ありそう。はてなが変な会社と言われるのも。
感情に左右されやすい自分も権威主義に陥っているんだなぁと気が付いた日だった。