本当の事なんか誰も知らない

故事の意味も分からない事が多いように時間が経てば言葉の意味はどんどん不明になっていく。現在のデジタルデータなんか全然後の時代に残らないと思うのだが、とにかく文明が終わったら全て無くなる。たまたま石に刻まれた記録が残ったらそれが発掘されるかもしれないけれど。一体その文章が何を伝える事ができるか。運良く古代言語が解読されたとして今の状況が分からなくてどれほどの意味が汲み取れるかという問題。
例えば次のような文章を遥か日の文明後の人達が見たとする

はてなは囲い込みが多過ぎる
はてなブックマークがなぜここまでヒットしたかを考えれば、誰でも利用できるというのが大きい。どうしてはてなダイアリーのユーザーが今より伸びないかといわれればヘッダーの存在が大きい。あれがデザインの自由度を大きく阻害してるし、だれも自分のブログがサービス会社の配下に思われるように見られたくない。だからヘッダーの表示は選択できるべき。もちデフォはなし。

はてな、囲い込み、この辺がネックかな。多過ぎるの意味が解読されたとして、囲い込みはハードルが高そうだ。ましてやはてなが何がしかのサービスを表しているということに気づく事は可能だろうか。もちデフォはなしはもちろん現在でも通じない人には通じない。言葉の意味が通じるのは一瞬の瞬きの間でしかない、宇宙の時間からすれば。同じ時を共有している人々にしか通じないものなのだ。