夢を持たなくてはならないのか

自己実現しなくてはならないのか。少なくても昔の人はそんな事考えなかったわけで、それどころかその日その日を暮らしていくだけでした。立身出世とかも以外と最近の風潮で江戸時代なんか武士でも家の出所で決まってしまう出世コースですから最初から努力なんか無かったかもしれません。最近の夢は将来はとすぐ求める風潮はまぁ聞く方もそんな真剣ではないのですが。どんな社会が到来するか分からないのに夢も将来も計画する事は不可能。そういう仕事がこの先存在するかどうかも分からない。別にそれが不幸というわけでなく、どうなるか分からないというのは展開の分からないストーリーのようにドキドキものですがそれを楽しめなくなってしまっているのは精神が硬直していると思う。予め決まった社会もコースも無いのが当然でそういうのができてる社会は停滞しているのでいずれ崩壊は必然。どうなるかわからないは不安になることでなくて楽しい事なんだというのは本でも映画でも分かっていたらつまらないわけで、現実社会はそうじゃないと言われるかもしれないが社会主義社会が滅びたのは生産性や資本主義との競争に敗れただけでなく、夢を持つ事ができなかったというのが一番大きいのではないかと思うわけです。あれ、夢を持たなくてはならないという結論になってしまったよ、どうして。