“「わかってもらえるさ」RCサクセション”のうそ

2006-03-04
こんなものに感動したり素晴らしいと言っている人の気が知れない。はっきり言って騙されている。過去の事例を題材にして現代の問題に結びつけるのはその方が金になるからに決まっているじゃん。シェイクスピアも当時の問題に絡ませる事によって成功したのだ。
ホテル・ルワンダ』が公開された意味とは何なのか。ポールさんのように行動する事が求められるのか。それを自分たちの国でも起こりえる身近な事として捉える事なのか。
 そうじゃないはず。こんなひどい事が実際にあったという事を伝えることが主であるはずだ。ポールさんが活躍した事はあくまでエピソードにしか過ぎない。つまり虐殺という真の主人公に対する道化役、ピエロでしかないはず。で、その願いはこのような虐殺を見捨てないでくれという事でしょう。この映画の肝は
ポールさんは自分が支配階級のマネをして支配階級に都合がいい人間になっていた事を恥、自分に怒って闘う事を決心したのだ。
という所らしい。
表現者は自分の作ったものを見て人がどう感じるか何てのは実は余り考えてはいない。考えてはいてもそれは優先順序の二番目が三番目の事なのだ。自分の内部からムラムラと沸き起こる欲求に従って作ってしまうとても我が侭な生き物なのだ。だから彼らは人の映画や小説なんか目にくれたりしない。オレならもっと凄いものを作ってやるぜ!っていつも思っているのだ。だから他人がどう思おうが気にせず表現を続けるのだ。
こんな事も分からないで、いや分かっていてあんな文章を書くなんてひど過ぎる。そして自分の関心事項に誘導するなんて最低の手法じゃないか。これも批評者の表現者に対する嫉妬という奴かもしれないけれど
参考:Archives - 内田樹の研究室