綺麗事で済まされてしまう社会に一石を投じてしまった男

ジダンはあのまま耐えてフランスが負けたとしても偉大な選手として記憶に残る選手でしょう。では彼は汚点を残したのか。そうとも言えよう。しかし皆のお手本、偉大なる選手、そんなものが何になるというのだ。尊敬なんかいらない、人間として気持ちよく終わりたかっただけだろう。彼があの暴言を我慢してしまったら名誉は手に入ったが一生悔いが残った人生を送らなければならなかった。彼の立場も表明できず人々が暗黙に思っている暗い気持ちも明るみに出せない。彼はそういうものに蓋をして見て見ぬふりをする事が耐えられなかった。というかそこまで考えてなかったけれど、感情的になった事が結果的にそうさせてしまったという事。個人は我慢をしなくて良いという事。爆発させても良いという事。上辺だけの取り繕いなんて糞食らえだ! それが個人の行動では許されるという事。罰則は受けるという事。そこにいい大人も子供も関係ないという事。当事者同士の喧嘩はどうどうやれば良いという事。それは公的な立場としてはやっては行けないという事。つまりあの時ジダンはフランス代表という事を止めてジダンとして行動したという事だ。ウソで固めた大人の世界なんてそのままFIFAの組織を表す。膨大な金、組織の運営。個と組織が分裂したのがあの場面だったのです。人間を取り戻せ。人間を復権せよ。
ジダン 「神が愛した男」が聞いた言葉: カトラー:katolerのマーケティング言論