日本の大好きな自主規制が新聞にもたらした影響

テレビなどでは容疑者や被害者にまつわる報道でえげつない報道が繰り返され新聞などでもそういう傾向はある。しかし自主規制などで報道されない事というのは報道されないのだから何が報道されなかったというのは見えづらい。報道被害という事で萎縮して事実を追っていない、曖昧にごまかすという事をやっていないか。マスコミはいつも事件が発覚したとき警察や国の怠慢を指摘するが報道がそれを暴き出すという事を怠っている。秋田事件も住民と一緒に容疑者を最初から疑っていれば二度目の事件は起きなかったかもしれないが、容疑者でも無いうちからそんな事をしていたら報道暴力として非難されていただろう。全ての死には理由があるとも言えないが人間が立ち入れない領域というのもある。それが未来を知りえない人間の限界でもあるが。その中でも報道の劣化というのは事件を暴き出す力がなくなってきたという事に現れてきているのかも。