ゲド戦記の距離

今回の映画騒動になる前から良書として聞こえていたゲド戦記。私も苦労して2巻までは読んだ事があった。一般に少年少女向けとされているこの本に苦労したのはこの方面、魔法ものファンタジーものというのが苦手だったからだ。SFとファンタジーは隣同士で並んでいて本の森の中では近親に属するように思われるが科学と魔法は水と油である。魔法が出て来てはSFの世界は根底から瓦解する。だからSFは読んでもファンタジー系には一切近づかなかったのである。食わず嫌いと云われてもそこは自分の世界観を通すようなしてはいけない事であった。要するにファンタジーが嫌いだったのだが。だから苦労して読んだ結果も「影との戦い」は主人公の成長物語にしか見えないし、「こわれた腕環」も世界の均衡を正す話としか見えない。もう自分がこの物語から感動するには歳をくい過ぎてスレてしまっているのかもしれない。だから映画がどうのこうのなんて事はとても言えない。一体この物語のどこが素晴らしいのか未だに分からないわけであるから致命傷である。私には何かが欠けているのかもしれない。皆が良いと思える事の中のある領域の感受性が欠損しているのかもしれない。それならその欠損の乾きは芸術家の必要条件でもあるらしいので私は芸術家の可能性を秘めているのではないかと密かに期待しているのであったがもうここまで芽が出ないと諦める他は無くなるのであった。こうしてゲド戦記は遠い存在で自分は平凡のままだ。