子猫殺し問題

もう少し。この問題が大きくなったのは家庭に入り込んでいるからでは。猫を飼うのに子猫を殺さなくてはいけないのでは通常の家では猫を飼えません。子供たちにも説明できません。避妊して無駄な命を生み出さないとした方が余程説得力があるでしょう。結局はその論理を社会が受け入れられないという事。これは「なぜ人を殺していけないのか」に通じるものがあります。しかし私は猫と人間が同じだというほど人間が客観的になれるとは思いません。人間は人間中心主義から逃れられないでしょう。同じように猫とゴキブリも同一視できません。単なる我侭な一方的な見方とも考えられますがその辺が人間の限界では。


昔は間引きとかもあっても現在の状況から見れば無闇な殺生を認める事はできないでしょう。まぁ家の中で何が行われようとその家の勝手なのですがそれを公表した事が非難を浴びた事。そこが作者は偽善社会に一石を投じるという意味合いもあったのかもしれませんが。タヒチではこんなにも生と死が溢れているのにそれを隠そうとする日本への抗議だったのかもしれません。しかし日本にも生と死は充分溢れています。毎日のように悲惨な事件事故が発生し憎しみが交差します。そのダイナミックはタヒチのような辺境では感じる事はできないのではないのか。