履修問題とは何なのか

受験以外の科目を決めたのも、週5日制を決めたのも文科省で学校はその被害者と見える風でもある。いつも文科省が悪いといってれば済む問題でもない。5日制も詰め込み教育の反省から生まれたものだし、履修科目も受験一辺倒の教育を危ぶむ声から生まれたはず。しかし結果的に機能しない事が明らかになったと。個々の問題の解決にはなるけれど全体を通してはマイナスにしか作用しない。こうなる事もある程度予想した人はいると思う。しかしその時の状況はその方法を飲むしかなかったというのはありそうだ。民主主義はその時の多数決だから未来を見通せないその場限りの解決を多くの人が望むならそれを通すしかない。その矛盾が明らかになって綻びが出てきてやっと次の方策に移る事ができる。


ならいずれこうなりますよと予見して大衆を導くのが賢人の役割だろう。しかしそういう人はいても当時その声に誰も耳を傾けないという事はありそうだ。今の時点で誰の支持も得られない少数意見というのはその可能性はある。それは無数に有りどれが未来を見通した意見なのかそうでないのかは誰にも分からない。結局時間が経って結果が出るまで誰も分からない。というか常に状況は変化してちょっとしたアクシデントが未来を変えてしまうかもしれない。そうなると最初から正解なんてない訳で勝負は時の運となる。そうなると賢人も御用済みだ。


しかしそうしたら結果どうなるかもう少し真剣に考えればというかもう少しシミュレーションを正確にすれば防げる問題はあるのではないか。人間行動学というものがあるならばどういう規制をしたら人はどう行動するとかもう少し科学的に進めてもいいような気がする。今起こっている事は皆当たり前の行動なのだから。当然の結果、自明の理、火を見るより明らか。