作家はなぜ続編を書くか

ゲド戦記の4巻目が10年以上経って出てその内容が尽く今までの世界観を否定するようなものだという事で批判されてもいた。10年以上も経つとその作品の批判が当然フィードバックされると考えられる。作者は作品世界を批判に耐えられるような完成度の高いものにしたいという欲求があるだろう。しかしそこにはこれまでの作品を壊してしまう怖さもある。作品は世に出たら一人歩きするものだからそれを作家が自由にしていいのかという問題もある。その為の続編でもある。今までの作品はそのままあるが続編でそれを否定する事もできる。読者は対抗策として続編を認めないという手段もとり得る。続編を他者が書く事があるように時間が経過した作者は最早同一人物とは言えず他者として認定され続編は偽物と判断される事もある。それが失敗作とされれば尚更だ。これまでの作品のファンはそれを守りたいとするだろう。まぁ現実はどんなものだって変えてしまうからよりリアルに見せようとすれば変容は避けられない。
そして何よりの原因は作者が生きているという事だろう。作者は生きている限り変容を続けだめになったとか才能が涸れたとか言われる事もあるけれど作家なら生きている限り書き続けなければならない宿命にある。断筆という手もあるが。完成度を高めたい。もっと洗練されたものや別な課題に挑戦したい。別のアレンジを試したい。作者が亡くなってしまえばもう作品は生み出されない。そこで初めて全体的な評価ができるようになる。それでも時代によって否定されたり再評価されたりし続けるのだ。
でも後から思いついた続編は修正版のような感じでどうしても無理が出る。それなら全く別な作品を世に出した方がいいような気もする。それをしないのはその作品に愛着があるからでは。なんとかしてまとめたい、再生したい。それがうまく行く事もあり失敗する事もある。