ブログの発信とマスコミの発信

ブログで発信する層は現状不満というのが在りきだからその部分でも社会の層の中で異なっている。だからブログで多く見られる方向とマスコミの論調にズレが見られても不思議でない。マスコミの見方が白黒ハッキリし過ぎ善対悪の対立に持ち込もうとし過ぎと言ってもプロレスの善役悪役というようにハッキリ役割分担した方が受けもいいし大多数もそれを望んでいてマスコミは期待に応えているだけといった見方もできる。誰も真剣に問題の本質なんてそれほど気にしないし、そんなものにうつつを抜かしているより自分の仕事に精進するというのが社会人としての求められる精神の有り様である。そういうのは専門家に任せておけば良くて結果だけを面白可笑しく伝えてくれば良いというのがマスコミに求められて来た役割だろう。しかしそんな事してきても問題は何も解決しないし解決して来なかったろうと見るのがブログ等で見られる不満なのでは。


これは個人と組織の在り方に関わる事だと思うんだけど、よく分からない、まとまらない。人から何かを貰える才能。飼い主の手を噛めるか問題。人間の関係性。上意下達でなく下意上達にできるか。そういうのは昨日のデイ・アフター・トゥモローにもかなり大げさに表現されていたし踊る捜査線の事件は会議室で起こっているんじゃない現場で起こっているんだというセルフにも現れている。そういうネタは昔から転がっているのに現実の社会は何の影響もなく存在しているような無力感。まったくそんな事テレビ局の息のかかったドラマから言われたくねえ、冗談じゃないってわけ。それをお笑いネタとして消費されてもたまったもんじゃないと。