政治的に正しいーポリティカリー・コレクト

世の中「政治的に正しい」意見に溢れてる。校長先生の挨拶も新聞記事も議員の発言も親の説教も政治的に正しい意見である。この政治的に正しい意見から外れると物議を醸し出す事になる。校長先生がいじめをするのも人の勝手、新聞記事が犯罪の奨励、議員が先の戦争は何の誤りもなかった、親が人を殺してもいいんじゃない、とはそれが正誤に関係なく言ってはいけない事とされている。つまり世の中の発言は殆ど予め決まっていて人はそれをなぞるだけなのである。新聞は予定稿で占められ固有名詞を差し替えれば一丁上がりである。校長も議員も親もテンプレに当てはめて固有名詞を変えて話すだけである。だから退屈でつまらない話なのだ。
 まぁこの基準も時代と共に動くのであって今なら核保有の議論何かが焦点になっていてその事が政治的に正しいかどうかが揺れているわけ。この辺の探り合いが世の中の在り方を決めていく。それで時代は変わったとかの言われるようになっていく。で、その線のはっきりこっち側とあっち側で安住している限り態度は明確なわけどそれでは分かり過ぎてつまらないもの。その辺をどう横断して新しさを出していけるかがチャレンジングな人生という所。様々な事件や事故がその辺を揺さぶって人々に新たな判断を求める。