通りすがりの人(創作)

 とある街で男が倒れていた。無視しようと思ったがかなり悪い感じで見逃す事が躊躇われた。おい、大丈夫かと声をかけると話を聞いて欲しいそぶりを見せるので耳を傾ける事になった。オレはもうだめだ。通りすがりのアンタに聞くのもなんだが良かったら答えてくれないか。うんとうなずくと男は語り始めた。オレは充分生きた。不満は無いと言えば嘘になるがまぁ人生として並の幸せはあったんじゃないかと思う。だから悔いはない。ただどうしても分からなかった事があるのだ。オレはこれで良かったのか。余りにも無難な人生だったんじゃなかろうか。もっと失敗してもいいからいろいろな挑戦をするべきでなかったのかと。そんな事聞かれても困るのは分かっている。悪いとは思うけど男の死に際の最後の我が侭だと思ってただ聞いてくれればいい。こう思うのも大きな失敗をしなかったからそう思うだけで失敗していたらしたでやっぱりオレの人生はこれで良かったのかと疑問を持つのかもしれない。人生は一回だから両方は体験できないしな。男は笑ったように見えた。けどどうしてもやり足らなかったという印象を持ってしまうのだ。欲張りなのだろうか。何回も死に目に遭いそうな機会にも出会った。しかしオレは要領よくというか尻込みするように避けて来たのだ。あのとき死んでいた方が良かったんじゃないかとさえ思う事もある。それとも違った人生が開けたかもしれない。しかしどう足掻いても選択肢は一つ、人生は一回だ。本当にこれで良かったのかの確証が欲しい。どう生きてもこれで良い人生なんてないのかもしれない。どう生きても後悔したりこれで良かったと思う部分は出るのかもしれない。完璧な人生なんてあり得ない。その不完全さが人生そのものなのかもしれない。


 男の話を聞きながらすっかり私は自分の人生に思いを巡らしてしまい自分の人生はどうだったろうかと思い始めてしまったのだった。これで良かったのか。まだまだ出来る事はあったのではないのか。しかしそう考えればそれは何でもやってみて何でも挑戦した方が波瀾万丈の充実した人生という事にはなるだろう。死をも怖れず果敢に挑戦する人生といえば聞こえはいいが単なる無謀な命がいくつあっても足りない人生ではないか。そんな浅はかな人生が正しい人生である筈が無い。冒険活劇が優先されるなんてマンガや映画の中の話だろう。人生生き延びる事を最優先して何がおかしい。質実剛健安心して暮らせる人生が王道の筈。何を恥ずかしがって気後れする人生だろうか。堂々とオレはこう生きたと死んでいけばいいじゃないか。オレはそう思ってそう男に伝えたがったがまぁそんな事は当たり前の話ではないか。今更死にいく男に言う程の事でもない。一体男の人生を馬鹿にしているのか。その程度の事は誰だって考えてるのだ。だが男の意識が遠くなりかけていたのでオレは怒鳴っていってやった。それで良かったんですよ。あなたは間違っていなかった。男は間もなく息を引き取った。男は微笑んでいるようにも見えた。オレの言った事が正しかったのかどうかも分からぬ。単なる慰めだったかもしれない。一体この男の何を分かっていたというのだ。こいつは散々悪事を働いて来た悪だったかもしれず何も分からないのに何が言えたっていうのだ。


 その事をオレはずっと気に掛けている。そしてこの頃ふと思うのだがアレはオレだったのではないかと思うのだ。あれは未来のオレだ。自分の死に際に自分で出会ってしまったのだ。オレは死に際に誰かに話すだろう。オレの人生はこれで良かったのかと。しかしオレにはまだ少し時間がある。その時までこの人生でいいのか生きてる時間もある。未だオレには人生を少しだけ変えるチャンスもあるはずだ。しかしだからといってどう生きても自分に満足できるなんてありそうにもなかった。どう生きても不満も後悔も出てきそうだ。どう生きたって同じなのだろうか。充実なんて嘘なんではなかろうか。まったく途方に暮れるな。


(何かどっかで聞いたような話だな。死に際の人の話を聞くというのはよくあるパターンだが。)