「あるある」と普通の番組の違いが分らない

通常の放送でも問題の側面を一方向に限定したり一部分だけを取り出して見せるという手法は日常的に行われている。議論のそもそもの手法が一部を取り上げて問題点を叩くというのが普通なのでそんな事言っていたらあらゆるニュース映像は捏造になるしか無いと思う。例えばイラクで連日爆弾テロが報じられているがあれを見てると24時間爆弾テロが起きている様な印象を受ける。ああいうのも印象操作ではないのか。アル・ゴアの「不都合な真実 」もその問題点ばかりを寄せ集めて反論や逆の現象は一切紹介しないという恐ろしいほどの印象操作が行われているらしい。まったく「あるある」なんてかわいいもんだ。メディアは全て捏造である。なぜなら客観的事実なんてこの世に存在しないからだ。また客観性を第一にした番組なんてつまらなくて誰も見ないという事実。主観性がなければ何の意味も見出せない。おかしく面白く望んでいるのはユーザーの方なのだ。では考えてみよう、「不都合な真実 」が両方の主張を公平にのせてこれからどうなるか何も分らないという結論しか出せなかったらここまでヒットしたか。
 そうすると「あるある」を作らせたのは視聴者の声だったわけである。だからといって番組が免罪されるわけではない。しかし自分たちには一切無関係のように叩きまくる姿は醜いというしかない。だいたいやせたい人は騙されたと思って何でも試すものなのだ。藁をもすがるというやつ。ダイエット番組はこれからも続く。これからも似た様な事が延々と繰り返される事は間違いない。