現代を装っている衣服を脱がせば中世から延々続く柵が現れる

結局この不公平はどこから来るのか。
ライブドアと日興コーディアル: 不動産金融屋日記 - カナリヤ投資家の由無し事
私も昔は都会で仕事をしていたわけだがそこで感じたのは大手企業のどうしようもない傲慢の振る舞いか。才能があればそういう世界に伍していけるのかもしれないが格別才能もない私は(といってもその頃はまだ若かったからまだ自分にも埋もれた才能があるに違いないと思っているのだが)そういう世界にうんざりして飛び出したのだが飛び出た先には今度は同族地縁という壁が立ち塞がっていたのだ。これまた才能があれば一目置かれるという事はあるのだろうが。そこで求められるのが努力っていうやつ。才能が無いなら努力て補えって普通人は苦しいよ。こうやって現代の明るい開かれた民主主義の世の中でも目に見えない壁が立ち塞がっているよう。そう感じさせる象徴的な出来事がリンク先の出来事ではなかろうか。世の中が公平であるならば日興コーディアルは厳罰に処されなければならず直ちに上場廃止されなければならないのでは。まぁライブドアの時も市場の影響するというので直ちにという事ではなかったが。
 まぁ、一向に浮上できず冴えない人生を送っている人間のボヤキなんだろうけど、今の世も金持ちの坊々が村娘を誑かしてもお咎めなかった頃と大して変わっていないのかもしれない。表面の制度は整って見えるけどその実態は中世からの柵でがっちり押さえられてしまっているよう。この出来事の結果がそれを証明してくれる。要注視項目。