うまく書こうとすれば始まらない

最近思う事は親というのはライフハックを教えたがるものである。それが説教。だが親が押し付けるライフハックはありきたりで当たり前で何の驚きもない。だから何も聞かないで生きてきた身とするともっとこの世界の根本的な事実を知っていればつまらない不安を抱かなくても良かったなと思ったり。いや親は関係ないか。自分が知る事から逃げて来た。しかし自分が何十年もかかって気が付いた事は一日みっちり整理されたこの世界のブリーフィングを冷静に受ければ済んでしまうものではないか。そういうのを子供時代に受けておけばもっと生き易くなるのではないかとも思う。そうすれば自分の情熱をもっと技術的な解決や一段上の段階に早く進めそうな気もする。得てしてそういう効率性は別な問題を引き出すがそれはそれで歴史は一歩前に進みそうな気もする。しかしそういうのもよく気が付く子は自分で気づくもので、ただ自分がぼんやりしていたに過ぎないのだろうが。殆どの日常を無難にこなせる。それはいい事だろう。それができたら今の自分は無かったとも言える。その辺で思考は逡巡する。そうだったら今よりスーパーな自分が存在したのか。つまらない人間に成り果てたのか。