人はできないことを言う

そんなこと不可能だから安心して言えるともいえる。現実の可能性があれば迂闊な発言はできないもの慎重になる。出来ない事だからなんとでも言える。へへ〜悔しかったらやってごらんと手の届かない高みから見下ろして理想論をふりかざしたりするもんだ。それはちと言い過ぎか。ブログで愚痴や嘆きくらい適当にやり過ごすべき。スルーカが足りない。しかし公言されるものに対してはそうもいかないものがある。それがローカルな発言ならいざ知らず多くの人間に影響を及ぼすものだから。この辺の要因もイナゴ問題と関係ありそう。行動分析的対象だ。人はなぜ想いを大勢の人に知って欲しいのか。そのうち定位が定まってネットで言える事というのはこの辺というのが分ったきてありきたりの意見しか見られなくなるんだろう。新聞の社説のように退屈なものに成り下がるのも時間の問題。そういう環境を維持する力としてイナゴが発生する。ネット環境維持能力。あぁそれって自己免疫なんだな。ネットという環境を現状維持させようとする力。イナゴとは抗体反応なのかもしれない。現状の秩序を維持しようとする。だから異物、異なる思考に対してアレルギー反応を起こす。