科学的思考が奪ったもの

昔は幽霊などというのもかなり真剣に話されていたのだろう。何せ誰もいるともいないとも決める事はできなかったのだから。つまり科学は幽霊等いないと断言してしまって人々を思考停止に停めてしまったとも言える。その有り余った時間を科学の研究やその他の時間に向ければいいのだから科学は有意義でしょうという考えもあるが実際にそうなっているとは言えぬ。それは各自の日常の想像力を駆使させる場を奪ってしまったとも言えるのだ。それまでは人に相談しながらも各自が結論を出してそういうものと決めていたのを科学がお墨付きを与えて各自の判断を奪ってしまったのである。そこには創意工夫は現れずこの世の危機を科学に投げ出す態度を生じさせた、と見る事も可能である。で、昔の人は幽霊は狐や狸に化かされたんだよ、といって笑った。怖い幽霊も正体が狐や狸という現世的なものであればちっとも怖くないというわけだ。つまりそれが当時の科学に代わる説明だったわけである。しかしそれだって半信半疑で決定的な結論ではなかった。今、科学はその信頼性を揺るがしかねない所に来ているというとちょっとオーバーだがそれは何も悪い事ではない。人々は自己決定権を取り返したいと思っている。科学のお墨付きなんてくそ食らえだ。水伝を信じるも信じないも自分の勝って。科学者なんかにしゃしゃり出てもらいたくない。各自が自分で決めれば良い事だ。幽霊が狐や狸のせいと信じるのと同じように。この世には科学では説明できない事がある。大いに結構。みんな自己決定権を取り戻して人間に戻るんだ。自分の頭で考え人の考えを鵜呑みにしない。自分の頭で思考する事、だってそれが生きてるって事じゃないか。