みんな分かってないよ

みんなって誰、失礼、一部の自分の記事をはてブした人達。なら宗教ってなに? 宗教と科学が別な物とハッキリ区別できるなら19世紀に神は死んだなんて誰も叫ばなかったろう。そういう考えは共通一次以降の問題が初めに在りきで答えは○か×を答えればいいという考えが習慣化しているからだ。宗教とはこの世界はどうして始まってどうなっていてどう生きればいいのかに応えてくれるものなのだ。この宇宙がどうやって始まったのか。神が開始したのか、ビッグバンで全てが始まったのか。さぁどちらを取るのだ、とした時殆どの人はやっぱりビッグバンを取るのでなかろうか。その採用理由は自分で考えたわけではなかろう。科学界が概ねその意見を採用しているからという理由にすぎない。そこでも様々な考えは分かれてビックバンはなぜ始まったの。そこに神の介在があるのではと考える人もいるかもしれない。だとしたら科学が解けない部分で神を介在させて科学の上位に宗教を置く物なのだろう。
 兎に角、科学が一般に普及するまでは神がこの世界を創ったという事に殆どの人は合意していたのだしそれが依って立つ人々の足場であったはずである。ところが宇宙の始まりに神は介在せず物理現象のみで説明が付くならばこの宇宙の原理は科学だけで説明つく事になり神は用済みとなる。それが神は死んだという認識ではなかったのか。それ以降の人間は神を大事にしても常に本当は神は宇宙を創っていなかったんだよな、でも長年の習慣から一応神に敬意を示しておくことが大人の振る舞いとして求められてきたのだ。そういう不信人な人ばかりで過去の遺産のように生きながらえている宗教に対して科学と宗教は別だと言うのはまったく宗教を馬鹿にした扱いである。宗教も大事だよ形だけだけど中身はないけど大事にしてますよというスタンスだけが重要というわけだ。はっきりさせようじゃないか。あなたは神を取るのか科学を取るのか。
人間の奥底には依って立つ足場が必要なのだから科学も宗教も役割分担なんて生易しい事ではないはずだ。というより現代人は科学が普及する前の人間の世界観なんかとっくに忘れてしまったと言ってもいい。そういう器用な生き方なんてまずできない。人間が本当に信じてる物は一つしかない。あれもこれも信じるなんて芸当は殆どの人は無理。その場所を巡っての争奪戦が19世紀に勝負がついて科学が勝利したから神は死んだと叫んだのだ。だから現代科学は宗教に取って代わった正嫡子なのである。誰も彼もがそこを基準に思考を始める。それはまぁ現代では仕方がない事なんだ。誰もこの事から逃れられない。