言葉に出した事はすべて嘘にしかならない

言葉は何を言っても嘘になってしまうので絶えずその補正をかける行為のようなもの。それはこういうことだ。だがそれはこれこれでこういう事もある。しかるにそれはこういう事になるだろうか。しかし別な見方をすればこうとも言えるのである。正確さをきそうとすれば言葉は永遠に終わらない。考えているうちに自分の方も変化してくるのでまた新たな追加変更を余儀なくされる。これが流転というものか。で取りあえずの区切りをもって作品としたりするのだろうが、作品でもないブログのようなものは永遠の井戸端会議のようなものでいくらでも続くものだろう。くだらないと言えばその通り。そういう性質のものだという理解が必要なのだろう。