何を書いても無駄

先ほど他人の気持ちが分かるかなんて書いたわけですがそう考えれば他人なんて理解できないのだからお前はここで何を書いているのだという事になる。他人と何かを共有しようと思って何かを書いているならそれは止めた方がいいんじゃないのか。同じ言葉を使っていても意味も位置も違うなら言葉によって何かを共有するという試みは無駄だろう。それでも何かが掴めるのだとしたらそれは言葉の集合たる文章がなにかを醸し出しているからかもしれない。
 で結局は自己満足の為に書いているという事はまぎれも無い事実なのだから否定のしようはない。書いただけで発散するのか。「物言わぬは腹膨るる業なり」と同じように「物書かぬは腹膨るる業なり」で書けばスッキリがブログが書かれる理由なのか。ていうか無駄も何も自分の為に書くなら無駄でないわけだがつまり精神的平衡状態を保つために書かれる。
 で社会的問題になるのは偶然でなくて世の中がその事に対してひずみが大きくなって来てエネルギーがたまって地震が起きるように気付きがあってその問題に注目が集まってしまうしそういう問題が起き易くなってもいるということだ。まったくこの情報化時代というのは裏の裏まで見透かされてしまって、さぁそれでどうすんのというのを万人の注視の中で行わさせられるという状態を作り上げられているような気がする。まったく何もかも丸裸にされて日本中がそれを見つめているという一億総AV時代の開幕がこのネット時代というものなのかしれない。