年表が思考を誤らせる

過去から一直線上に現代に繋がるという歴史観は分かり易いけど思わぬ陥穽があったりする。私達はどの時点の過去にも行けないのだから遠い過去も近い過去も等距離であって近い過去だから必ずしも分かるというものではない。で何か私達は未来に向かって進むというイメージもあるが私達は何処にも行ってないし何処にも行く必要もないのである。ずっと太古から此処にいたし将来もずっと此処にいるだろう。これは地理的な移動ではなくそういう歴史的前進という意味で何処にも進んでないという事に気がつくべきである。それは人間が行ってきた歴史的偉業というものを無意味とする事ではなく、ただそれはそれであるというそのままを受け入れ、現在はそれではどうしようと考えるしかないだけの話である。何かを変更するのもそのまま継続するするのも中止するのも現在の人間に委ねられているわけで過去からは一切自由なのだ。全ての過去から等距離にあり決断は現在でするしかない。何かをしたからといって何処かへ行けるわけでもなく此処に佇んでいるのだ。関係は変わるだろう。しかしそれは私達を何処か遠くへ連れ去ってくれるわけでなく、しっかり大地に足を着けて立っているしかない。それは比喩的な意味であって私達が月に行こうが火星に行こうが宇宙に行こうが変わりはない。何かをしたからといって夢のような千年王国が現れるわけでもなく人類の夢が達成されるでもなくしっかり現実にあるしかないのだから現実的な様々な問題は全て残されたままであるしかないのだ。