そういえば掟の門で

何か積極的に行動する事が良い事だみたいな解釈に転びがちになるが。今やらなければ一生後悔するみたいな。けれどそう単純な事ではないだろう。後悔する人はどっちにしろ後悔するものだ。したらしたでした行為の結果に後悔し、しなかったらしなかったでしなかった事に後悔する。ということでどちらにしても後悔しないというセリフが広まる事になる。例えば掟の門ではホントに門に入ったら命を落とす可能性だってあったはず。そうならずに門番との交友を結ぶ事ができたのだから喜ばしい事だったのではないのか。それ以上望むのはきりが無い欲望ではないのか。しかし目の前に何か可能性があるものを前にしてそのままではいられないというのが人間の本来性とも言えるかもしれない。これじゃ鎖に繋がれた犬の届かないところに置かれたご馳走状態。けれど鎖は繋がっていなかったと言うのだけれど。いや鎖じゃなくてそのご馳走に毒が入っていないかと言う問題か。
 そもそも掟の門では入るか入らないかの問題に限定されがちだけど男はその場を去って村に帰るとか放浪の旅に出るとかいう選択肢だってあり得たはずだ。それをそうしないでなぜずっと掟の門の前で暮らす事になってしまうのか。門番に惚れたのか。何も決められない男の話か。
 何かをしない事はした事より決して劣る事ではない。何かをした事より重大な損害や犯罪を犯してしまったらしなかった時より後悔するだろう。しかしそれはして見なければ決して分からない事。そうするとしなかった時はその不幸は知る事もなく、しなかった事だけが注視されそこに後悔の視点が向けられる事になってしまう。で後悔しないと決めるなら過ぎた事は全て善しとしなければならぬ。