下らないという事

何が下らない事なのか、それが問題だ。最近下らない事の本質が分からなくなるつつある。本質なんて言葉を使うのはやめよう。何が下らない事なのかが分からなくなっている。そもそも下らない事というのは存在するのだろうか。凡そ人間の考え付く事は等価でないか。そこに軽重なんて有り得ない。時の優先順位があるのみである。時の優先順位は軽重ではない。しかしイグノーベル賞はくだらなさをテーマにしていなかったか?では下らない事はやはり存在するのか。地球の温暖化について考える事とトイレで紙が要らないほど切れのいい用をたした時の考察はどちらが重要という程の事はない。どちらも真実に迫る意味合いもあるしどうでもいいとも言えるからだ。例えがいま一つ。ありふれた事、よくある事の中にも考察すべき事はごまんとある。よくある事を集めてそこからある一定の法則を発見すれば大発見だ。どうでもいい事の中にある秘密が隠れている場合だってあるだろう。そんな事でもなく何の役にも立たないような事からどうして人はそんな事をするのかという行動的分析も可能になる。物の見方。別にそれが意味があるわけでもない。