何の為に本を読むのか

一つには物事が相対化できるという事があります。これは本当は良い事かどうかというより良い事でも悪い事でもないでしょうが相対化できると物事の重要さが相対化されます。それはよくトラブルに巻き込まれた時これはどれ程の重要事かという事が俯瞰できます。ある意見に対しそういう意見もあるなという態度を示せます。つまり相手に飲み込まれないという効用があるとも言えます。相手の考えもいろいろな考えの一つでしかない、それが色々な考えを知る事の利点の一つです。様々な考えに触れる事が出来るというのが本の効用の一つとも言えるでしょう。何も知らなかったら相手の考えに直ぐに納得してしまうかもしれません。一つしか知らなかったらそれと相手の意見と二つの比較検討しかできません。では全部で百の考えを知っていればその中の1%でしかありません。もちろん優先度や志向性があるのでそれが大きな比重を占める場合もあるでしょう。けれど多くの意見の一つという事実には変わりません。
 そういう意味では本を読むたびに自分の意見が変わるという事は良い事のような気がします。それだけ自分の中で冒険が繰り広げられているという事でしょう。若いうちはそういう柔軟性を持つ事が出来る。そしてだんだんと本を読んでも自分の意見が変わらなくなってもきます。それは頭が固くなって来たという言い方もできますが、数多くの意見の一つに過ぎないという見方があり、そういう観点から吟味する事が出来るようになるからです。
 「生物と無生物のあいだ」という本には一部の必須遺伝子を取り除いても何の問題なく成長する生命の話が出てきます。生命は機械ではない。機械なら必須な部品の欠如は重大な欠陥を及ぼすが、生命は無いならないであるもので何とか間に合わせて生命を維持しようとしてしまうのです。それが生命のダイナミックさと言ってました。人の知識も不完全で偏っていて全然完璧でないのに持っている知識で世界をまとめあげようとし一つのまとまりある人格形成を成します。それはある意味困った事でもあるかも知れないけどそう破綻しないで一つの意志を持った存在としてあることができる。それがこの世界のダイナミックさを成り立たせてもいるのだ。