世界の理解の妨げは既存の社会

既存の構造が新しい見方の妨げになる、とは言えるかもしれない。そうは言っても一から始めるのは大変である。少なくても長年の経験はベストでないとしても幾分は効率的な知識の継承を果たしているはずである。それを何の経験も無い所から始めなければならない。ある程度社会が構造化されてしまうとその方が簡単だから社会のリソースを手軽に利用できるからという理由で皆そのやり方を利用してしまうという事はある。捨てられないから別なやり方をできないという事。それが可能になるのは既存の方法がもうどうしようもなくメリットよりデメリットが上回るようになってからだ。
 つまり既存の社会が行き詰まってしまって生活レベルが低下してどうしようもなくなったら既存のやり方も放棄できるようになる。すると現状に満足している限り何も変わらないのか。それも細分化するとある部分では満足だがある部分では不満足という事もある。既存の便利さを享受する。それをかなぐり捨てて悪戦苦闘泥縄じたばた別のやり方を見いだす。