思考の変革

最近今までの考えは間違っていたのではと一旦は考えるようにしようとしている。しようとしているのだが長年の癖で直ぐに条件反射してしまう。もしかすると相手が言っている事が正しくて自分が間違っているのかもしれない。いや正しい正しくないなんて決められないけど、そういう考えも有りかもしれないなとできるだけ思うようにしている。「もしかしてコレってアリかも〜」てね。できるだけ自分なんか無い方がいいんだよ。いったいどういう未来を選択するかという事しかないんだけれど無限の選択肢の中から一つだけの未来を選び取る。今というのは一つの現実しか受け入れないんだ、優勝者は二人はいない、一人だけ。それは自分の思考をも選び取る作業である。そしてそれは可能性をも選び取る作業でもある。人々の争いはだから可能性を選びとる争いでもある。それはスポーツの世界と共通する。誰がその位置に立てるか。
 本当に悲劇なんか存在するのか。それは生き残ったものの勝手な思い込みではないか。死んだものがそう思っていたなんて保障なんてどこにもない。そうやって残ったものが争う事が死者の望みなのか。ていうかそんな事どうだっていいのにさ。感情なんて余り有さないで生きていった方がずっと楽さ。感動、感動、もういらんどう。