ファッションという縛り

服というのは以外と面倒なものである。たとえばある服がセンスが良いなどと言われてしまってそれが続くともう変な服が着られなくなるという事がある。そういう窮屈さを感じるとわざと変な服を着て自由を獲得したくなる。オレは自由にどんな服だって着れるのだ。センスが良いなんて言われて縛られたくない。
 これは善い人を止めると楽になるという論理と同じものである。善い人も一旦始めると信頼を築いてしまってそこから抜けられなくなる。そして常に善い人を演じなければならなくなる。それは本当に苦しいよな。あの人がそんな事をするなんて。そこまで行く前になんとかしたい。もっと気軽に手前でポロッと軽い気持ちで信頼を裏切っておきたい。あんまり高みに辿り着く前に。
 だから縛られないように、余り独自色を出すのは窮屈への道なのだ。俳優が何か得意な事ができるとそればかりやらさられるように。お笑いで受けたらずっとそれをし続けるように。