無限の恐怖

人間には無限の恐怖というのが本能的に組み込まれているような気もする。子供の時、宇宙は無限と聞かされて恐怖を覚えた記憶を持ってる人もいるのではないか。もっとも最近は宇宙は有限というのが定説なので安心する人の方が多いのか。それでも無限小数など終わりがないという事がどういうことなのか理解したくない場面というのはあるのではないか。そういう本能が宇宙有限論や宇宙開始説に影響を与えているとも思えないが全く無関係とも言えないのではないか。始まりがないとか終わりがないというのは落ち着きが無いものである。やっぱり宇宙も始まりがあって終わりがあるとする方が夜もぐっすり眠れるというものだ。もし始まりがないとすると循環論もその中に浮上して自分さえもかつて存在した存在でなないかという疑問がわいて来る。自分はかつて存在し今の生はその繰り返しに過ぎないと言われたら少し絶望するかも。どうせ本人に自覚ないから関係ないとも言えるが。自分が唯一無二の存在だから価値があると思っている部分というのは少なからずある。それがお前は過去に無限に存在したありきたりな見飽きた事象でしかないと言う事が発見されてしまったらこの人生に意味があるのか問われなければならないか。まぁそれが人間が知る事が無ければ問題ないのかもしれないがそれでは気休めという事にもなりかねない。人間が人類初と興奮している時、神がもうこれは1億8752万9437回目だなと飽き飽きしている姿を思い浮かべるのは不可能ではない。