やまもともな〜

この騒動に社会の建前と本音を垣間見るもでは日本だけと思うにでは米国だったらと考えるとキリスト教社会でも浮気の制裁は厳しいのではないかとも思う。性が解放されているように見えて以外に保守的なのが米国だから油断がならない。まぁ二度目ということもありこれまでの対応が甘かったと思っていた人にとっては溜飲を下げるというかそれ見たことかの思う壺、ルサンチマンの怨念が非難に込められているような気がしないでもない。
 昔だったら石打刑か魔女狩りで火あぶりにされたり、近年でも命に関わる事であった。何ゆえにこれほど厳しい断罪が行われたのかというとそれは社会が持たないからというのが一つの答えか。この辺はなぜ人を殺していけないのかという問題と同じものだ。どちらも社会の持続的発展の為には禁止しなければならないという環境問題だったのだ。
 つまりこの世の善悪は数学的決定で問題が解ける。社会が発展すればそれは善で社会の発展に有害ならばそれは悪と。ということはこの世の善悪問題もコンピュータで解析可能ということだ。つまり将来裁判の判決にコンピュータが導入される可能性が高い。つまりその行為は社会にどういう影響を及ぼすかというシミュレーション的予想の見地から導き出される事になるだろう。