オリジナルを求めての二千年の旅

捏造された聖書
最近は捏造とか偽造とか偽装とか騒がしいが何も今に始まった事ではなく人類が始まった頃から行なわれて来た事である、と言ってしまっては元も子もないと言えるが聖書にまつわる改変の歴史はさすが世界の一大ベストセラー、スケールが違う。当初字も読めないような人達の劣悪な環境で一文字一文字書き写された写本は誤字脱字は当たり前で読める人も希有の存在で校正もままならなかったと思うとどれくらい原型を留めているのかと途方に暮れる。しかし字が読めないというのは幸いでもある。その限りでは意識的な改変など不可能だからだ。しかしその後歴史的経緯で意識的な改変が進む事になる。で現在の原型になった聖書は底本が吟味されて一番優秀な写本から採られたわけでもなく、偶々その時そこにあった劣悪な写本からできあがってしまった歴史的経緯があってその本が印刷が始まった当初から延々とコピーされてきてもはや誰にも修正できずこれこそが聖書という時代が長い間続いたと。
 Googleが世界中の本をデジタル化するという計画があるが、では世界中の写本をデジタル化したらこれは凄いかもしれない。それで世界中の人達で聖書のオリジナルの再現に望む。それでも限界があるのだろうな。原本が残っていない世界で一番遡っても何代目かの写本にしか行き着かない。誰かが石版にでも刻んでいればこんな事態は防げたのに。もしそんな物が出て来たら衝撃的過ぎるだろうな。きっと出て来ても公表されないだろうな。これがオリジナルだなんて認めないとか、これがオリジナルなんてあり得ないとか、誰かのイタズラに決まっているとか。だからあっても闇から闇へ葬られる。