一つの事が分かる毎にその他の可能性が潰える

人は分からない事を分かろうと努力する。その度に脳内に回路が作られていき入力に対し出力ができるようになる。問題に解答できるようになるわけだ。やがて頭の中は既存の回路で一杯になっていく。で新しい回路を作ろうとするとき既存の回路と矛盾する時既存の考えの見直しが迫られる。でこの時既存の回路をコペルニクス的転回に作り替えられるかが問題となる。別にそれがいい事というわけではない。より時流にあった考えを採り入れるかという問題だけである。でどちらにしてもいずれ既存の回路で一杯になってしまうのは避けられない。こうして雁字搦めになり硬直して石頭の頑固オヤジになってしまうのが世の常です。だから分かってしまうというのはある意味恐ろしい事で何もすぐに分かってしまう事が素晴らしい事ではなくて、なかなか分からずにいてギリギリまで抵抗した方がいいのかもしれない。それは分かる必要があるのかという事もある。