社説という物は今でも

こうでなければならないとか、人に指針を与えるようなものとか社の基本方針を外れてならないとか様々な制約があるのかもしれない。日記じゃないんだから記者の自由な想いが記されるわけではないと。じゃあ雲上から見下ろしたように書けばいいのかとしたらもはやそんなもの誰も読まない。まったく社説という存在も現在ではその位置が難しくなっているのかもしれない。どういう視点で書けばいいのか。その辺の迷いが出てトンでもなく変な社説が浮き上がってきたりする事もある。全ての価値が変動する時、それぞれの位置が新しい場所を定めようとして衝突やいざこざが起きる。既存のステータスが見直しを迫られ順列の組み替えが行なわれる。でそれらを見ている視点も変わってくる。そうして気付いたら世の中すっかり変わっているという寸法さ。