隠し砦の三悪人リメイク版

の感想で主人公が姫と一緒に逃避行してしまうのは時代設定を無視したナンセンスだと文句を言っていた所があって、読みながら仰る通りとその時は思っていたがどうでもいいような気がして来た。だいたい今時そんな時代設定を気にして見る奴があるだろうか。元からして時代設定は曖昧だしまったく架空の話しだし、それでも日本のある時代に似たような話があったかもしれないという線は崩せないのだろうか。もちろん何でも有りにしてしまえば最早SFになるしかないが、とある国の昔の話という所に収めるなら姫との逃避行も有りかもしれない。しかしその後の姫の我が侭な生活を思い馳せるとその後の二人の行く末を心配してしまうが。て見ていないのに勝手な脳内妄想でした。
 原作のクロサワ版も設定だけ作って三人がどれだけ無理目なアイデアを出し合ったというのだから映画の為の映画の話に他ならないがもちろん採用されるのはリアル感が感じられるかという所だろ。そこで時代的制約というのが出てくるがそれは厳密でなくて観客を騙せればいいわけでいかにもの話をいかに作れるかということになる。だから観客層が変わればリアル感も変わるので時代とともに映画が変わるのは当たり前なのだ。けど今は俳優から物語を作っていくという事がなくなったかも。俳優はシナリオ通り動いてくれれば代替可能なので誰がやってもいいなんて碌な作品にならない。その人でなければならなくて、俳優が変われば筋も変えなければ代替不可能でなければ役者を生かした事にならないし、作品も生きた作品にならない。