圏外からのひとこと-日中韓で自国文化の重層性のときほぐし競争をしましょう

そもそも、ルネッサンス以降の西欧文明がグローバルであるというのは、それがシンプルだったり論理的だったりするのではなく、本を読めばその重層的成り立ちが理解できるようになっているだけのことではないのか。

体系的にまとめられているということ。

だから、同じようにここに馬鹿なことを書いていても、西洋哲学に関することを書くと、「おまえは馬鹿だ」「おまえは無学だ」と言われている感触が強い。もちろん、書いてくれる人は親切で書いてくれているのだが、そういうコメントの背後にある膨大な蓄積を感じてプレッシャーを感じて被害妄想が発火する。

情報がオープンで誰でも引き出せる。

「欧米人の精神が多層的でわかりにくい」と言うと「おまえが不勉強だからだ」と言われそうな気がするが、「日本人の精神が多層的でわかりにくい」と言えば、「これは鋭い問題提起だ」と褒められる。この違いは、本質的なものではなくて、単にどれだけ本が書かれているかの違いである。

情報がクローズで外部の人間が伺い知れない

日中韓で、この「自国文化の重層性のときほぐし解読解説競争」をしたらどうだろうか。

2000年だけに限ってもこの差を埋めるのは大変。だが情報化とITで100年も続ければそこそこいくか。


石と木の文化などとふと思うがそれだけじゃぁない。中国も様々な書物は残されていると思うが体系的でないということか。