2005-04-26

コメント欄

今回の列車事故のこと。うかつに何かを言う立場には無いが、この事件を都合よく利用し、正義面し自分の日頃の鬱屈や憤懣を晴らすかのような態度に出る人々がすごく多い感触があり、気になった。何も明らかになっていない昨日の段階で「説明責任を果たせ!」「ポケットに手を入れてただろ!」「犠牲者を生き返らせられるんですか!」と唾を飛ばす人々に、心底ぞっとした。この何か月かの大規模地震でもそうだが、災害・事件・事故を、自然だろうが人災だろうが、単なる「安全保障」の域を超え、自分たちの何か邪悪な欲望を満たすために利用している。死者・犠牲者・被害者が掠め取られている。

では、なぜ人々は常日頃鬱屈や憤懣を溜め込んでしまうのだろうか。うまくいかない事、社会がおかしいと感じる事、そういった思いが届かない。長い不況、先行き見えない不透明感、出口か見えない閉塞感。こんな所にも社会の状態がかいま見られるという事なのか。ホリエモン騒動も根は同じ?