どういう事件も時代に原因を求める事はできる

偽装建築も特定の人の犯罪を求めるより、周りの構造、状況、背景に着目した方が分かりやすい。今回出ている具体的な名前でなくても、みんな同じ環境にあったと考える事ができる。彼以外の構造計算建築士設計事務所、建設会社、販売会社。みんな同じ土俵に立っていた。これはアインシュタインがいなくても相対性理論は生まれたとかエジソンがいなくても電球は発明されたというものの負の側面だろう。しかしもちろんそういう背景が犯罪の原因とされても罪は問えないので具体的な実行犯を挙げる事はおおむね正しい事なのだろう。そこでまた具体的な指示があったかと言われているわけだが、そんなもん人類が始まってから繰り返してきた歴史のような気がする。
 やれ、と具体的な指示を出さずにやらせるのが権力者の常套手段であってそこで実行する奴が頭が良いとか物わかりのいいとか言われ、しない奴をバカという。それでも現代の法律では具体的な指示がなければ法令違反を問えないわけで、というか現代に限らずこれがゲームのルールなのだから仕方がない。なのにどうしてこんな大騒ぎになるのかというのが疑問なわけだが。これはきっとアレですよ、祝祭じゃなくて、中世の頃にあった公開処刑。こうやって時々悪い奴をやり玉にあげて人々の憂さを晴らす、ストレス解消、ハレの提供。こうやって為政者は社会の平安を保ってきたのであった。